大学時代は、経済学部に所属。公認会計士の勉強をするため別の予備校にも通い、いわゆるダブルスクールで学んでいました。
でも、勉強に取り組むうちに細かすぎて自分には合っていないなと思うようになり、すっぱり公認会計士への道は諦めました(笑)。
その後に目指したのが「教員」です。特にやりたいこともないし、潰しが効く教員免許でも取っておこうかなと思い立ったんです。
そんな安直な理由で2年生から進路を変えたこともあり、卒業時には単位が取り切れず……。たった1単位を取るためだけに、地元の岐阜から大学のある大阪まで通う生活を、さらに1年続けました。僕の計画性の無さが見事に露呈していた時期だなと思います(笑)。
就職活動は一切しなかったものの、大学卒業後は教員免許を活かして、地元の高校の非正規常勤講師として働き始めました。担当教科が社会科だったので、地理・歴史・公民などを毎日生徒たちに教えていましたね。
特に大きな目標も持たず、成り行きで就いた高校講師の仕事でしたが、これが楽しくて楽しくて……!高校の雰囲気や上司・同僚に恵まれて、想像以上にやりがいと楽しさを感じながら働くことが出来たんです。
多分「自由と裁量を持たせてもらえたこと」が僕にとっては働きやすかったんだと思います。
吹奏楽部の副顧問もやっていたのですが、顧問の先生は僕を押さえつけることなく本当に自由にやらせてくれて。生徒たちに混ざって楽器を弾いたり、BBQや忘年会をしたり、和気あいあいと過ごすことが出来ました。
あと「創造性が求められること」も面白かったですね。固い仕事に思われがちですが、講師って結構クリエイティブ性が求められるんです。
すでにカリキュラムが決まっているなかで「何をどう生徒達に教えていくのか」「使う食材は決まっているけど、その食材をどんな技術でどんな料理にするか」を委ねられているような感覚でした。
自分なりの工夫や創造性を発揮できる点や、学ぶ道のりを作る過程が面白くて、結果的に4年ほど講師を続けました。
その後は、数年受け続けていた教員採用試験に受かり、中学校の社会科教諭として勤務し始めたのですが、これが高校とは打って変わって、全く楽しさを見出せなくてですね……。
生徒さんや親御さんは良い方たちばかりだったのですが、どうしても“中学校の教育現場”が僕には合わなくて。高校と違って、赴任した中学では“自由や裁量”がなかったんです。
例えば、クラスの学級目標って皆さん考えたことがあると思うのですが、中学では学級目標を教室のどこに貼るかまで厳密に決められているんです。それ以外にも、朝の会の進め方、本棚の位置、ロッカーに入れる物の項目まで、全てがこと細かに指定されている環境でした。
「発達障害がある子などは、黒板周辺にたくさんの情報があると気が散ってしまう。なので、掲示物は違う場所に貼って対応してあげると良い」と研修で教えてもらったので、早速教室で実践してみた時なんか、すぐに「河合先生、ちょっと」と呼び出されて……(笑)。
「なんで掲示物をずらしたんですか?他の先生も戸惑うし、このクラスだけ違ったら他の生徒から文句もくるでしょ?」と指摘されてしまいました。
生徒の学ぶ環境を整えるためにアイディアを思いついても、学校全体で足並みを揃えなければいけない瞬間が多々あって、しんどかったですね。
結局、中学教諭は1年半で辞めることにしたのですが、退職までの3ヶ月は学校へ行くのがイヤすぎて、朝起きられないこともありました。先生たちが悪かったわけでも、学校の制度が悪かったわけでもないと思うのですが、単純に僕には環境が合わなかったのだと思います。
中学を退職後は、個人で学習塾を運営しました。中学教諭を辞めるにあたって、1度転職活動をしてみたのですが“28歳・教員”という経歴ではあまりにも職種の選択肢が無くて……。
「自分には市場価値がない。どこにも行けないんだ」と実感し「今までの就活やキャリア選びは失敗だったのかも」と初めて落ち込みました。“ウズウズ”とは対照的に僕の人生で最大の“ウツウツ”期の始まりでしたね(笑)。
そんな中で「興味のない職種に就くのも違うし、ひとまず今までの職歴を活かしてできることをやってみよう」と学習塾に辿り着いたんです。
岐阜県でレンタルスペースを借りながら運営をしていたのですが、幸運にも何人かの生徒が集まってくれて。2年ほど講師として働きました。
そうして講師として働くうちに、大学の同級生の川原から「法人研修の講師をやってくれないか?」と打診がありまして。僕自身法人研修の経験はなかったものの、当時川原には転職の相談に乗ってもらったり、UZUZの面談に同席をさせてもらった縁もあったので、2つ返事で「やります!」と答えました。
これが僕がグループ会社のUZUZ、そしてウズウズカレッジ(ウズカレ)と関わり始めたきっかけです。
ウズカレに携わり始めてからは、オンライン講師を勤めたり、動画作成を担当したり、本当に色んな業務を経験させてもらいましたね。
昼はウズカレで講師や動画作成を担当し、夜はオンラインで子ども達の学習をサポートする生活を4年ほど続け学習塾は閉業。その後は、めでたくウズカレ1本で働くことになりました!